2008.07.24(Thu)
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2008.04.04(Fri)
では早乙女愛の「愛」は偽物だったのか、偽善者だったのか? 一概にそうとも言い切れません。 彼女は自分なりに私情を殺して蔵王権太の為に 利他的な行動をしたのだと思います。 彼女の行動基準は「聖母マリアであったならどのような行動をとるか」 とと言うことにあると思います。 マリア様を尊敬しお手本にしているのでしょう。 早乙女家の大豪邸から家出するときも必要最低限のもの意外は マリア様の肖像画でした。 聖母マリアの「見返りや損得勘定のない無償の愛」のつもりで 蔵王権太に接したのでしょうが 無償の愛と全許容とは似て非なるものです。 全許容・・・文字通り相手の全てを受け入れてしまう事。 良い事も悪い事も無差別にすべて。 無償の愛・・・相手の人間の本質を受け入れ、愛し慈しむ。 相手の為を思えば、悪い事は決して見逃さない。 罪を憎んで人を憎まず。 聖母マリアの像は腕の中のキリストを優しく抱いて 暖かい眼差しで微笑みかけていますが それと同時に足元の蛇を踏みつけています。 蛇はキリスト教ではアダムとイブをそそのかした悪の象徴です。 愛を与えながら悪に対しては断固として認めない強い意志を表しています。 早乙女愛は無償の愛と全許容を混同しているのでしょう。 精神が純粋であるからこそ、その間違いに気づきにくく また行動に移してしまうのだと思います。 以上のことから彼女なりの「愛」の形であり決して偽善ではないといえます。 しかし、その彼女なりの「愛」はかなり周りの人を巻き込む結果になっています。 太賀誠を青葉台に引き入れた事がそうです。 自分の為に人生を狂わせてしまった太賀に償うつもりであったのでしょうが、 そのためにボクシング部、ラグビー部と太賀が抗争することになり 多くの怪我人を出し(ボクシングができない拳になった人もいた) 品の良いブルジョア学校にタイガーグループなどという不良グループができたり などなど・・・・・・周りに多大なる迷惑をかけています。 太賀誠自身も青葉台に行く事に対して嬉しく思っていなかったようですし・・・。 彼女なりの「愛」も度が過ぎると悲惨な結果に終わります。 そういえば早乙女愛の「愛」が人の為になった事ってあまりないですね。 大抵悲惨な結末につながっていく、なぜでしょう? 彼女は純粋な動機で(間違った方向でも)人の為と思って やっている事なのに気の毒です。 早乙女愛に関してはあまり恋の要素が見受けられないと思います。 太賀誠に対しては恋というより償いに近い形、 必死に彼女なりの「無償の愛」を 与えなければならない対象であったのではないでしょうか。 早乙女愛にとって太賀誠とは憧れの人であり、 幼き日の白馬の王子様であり、 そして「無償の愛」を与え続ける義務を課せられた、 言わば精神修行の為の存在なのでしょう。 償いというのはきっかけに過ぎず、 どれだけ彼に尽くせるか自分に課しているように思えます。 最終的には恋愛に近いところまで進んだのかもしれませんが、 本来彼女は高潔な人柄なので あまりそういうことに興味をしめさない性格だと思います。 恋だ何だというよりはお節介焼きのような感じです。 日高美奈+幼さ+未熟さ+勘違い=早乙女愛。 美奈さんを未成熟な子供にした性格が早乙女愛だと思います。 以上、長々と解説しましたが 愛と誠編 完
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