2008.03.26(Wed)
まだ【巨人の星の思い出 後編】が残っていますが、
ふと愛と誠について気になったので記事にします。
「愛は平和ではない。愛とは戦いである。武器のかわりが誠実(まこと)であるだけで、
それは地上におけるもっとも激しい、厳しい、自らを捨ててかからねばならない戦いである。
我が子よ、このことを覚えておきなさい・・・」
ネール元インド首相の娘への手紙
愛と誠のテーマである
「愛とは戦いである」という言葉・・・
私は疑問を感じます。
世間では「愛と恋」という似ているようで違う言葉が存在しますが、
私が思うに「愛と誠」の物語のなかで恋の範囲を越えた人物はほぼいないと思います。
代表的な人物では高原由紀や蔵王権太などです。
愛とは無尽蔵にわきあがる限度のない、人間における最も崇高な感情です。
平和な感情です。
争い、戦いにつながるのは愛ではなく恋の方だと思います。
愛と恋というと世間では混同されがちですがその方向性は全く違うものになります。
恋は自分が中心となることが多い感情です。
そこで主体となるのは相手ではなく自分。
熱しやすく冷めやすいのが恋の特徴です。
そこの気持ちの根底は相手が好きというよりも
相手が好きでいると気持ちいい、気持ちよくなっている自分が好きというところです。
恋は自己愛であり、愛は利他愛です。
・蔵王権太
自分の気に入らない相手に対して度の行過ぎた非人道的な暴力を振るう
影の大番長・高原由紀を制止せず
彼女の為と勘違いをして助っ人をしていました。
由紀さんに喜ばれたいための行動でしょうが、
そのような行為が高原由紀の将来のためになるとは考えられません。
いつか彼女が正気に戻った際に必ず後悔する日が来るでしょう。
そのときになれば彼女は太賀に惚れたときの様に自殺してしまうほど
苦しむ事になると思います。
彼女の為を思えばこそ命を張ってでもやめさせるのが
本当に愛する人の行為だと思います。
私の憶測では蔵王は由紀さんに嫌われるのが怖かったのだと考えます。
硫酸を被ってでも誠を貫こうとした彼がそんな事を考えるのかと思われる方も
いらっしゃるかもしれません。
しかし、最終時点ではそのように完成された思いが
あったのかもしれませんが、初期の頃からそこまでの気持ちに至っていた事の
証明にはならないと思います。
彼には自分にとっての由紀さん(偶像の)が全てだったから
神様のような存在だから彼女から嫌われると言うことは死刑宣告に等しい
ものなのでしょう。
だから本能的に恐れていればこそ彼女のためにならなくとも
宣告を逃れる為に助っ人をしたのではないでしょうか。
つまり自分>由紀だったということです。
愛(真心)ではなく我が身かわいさを捨て切れなかった恋だと思います。
・高原由紀
太賀誠に惚れた際、早乙女愛を襲撃しようとしました。
自分が失ってしまったもの(美貌)を持っている早乙女が
妬ましく、また誠の気を引こうとしている態度が気に入らなかった
という事が原因でしょう。
自分の欲望を叶えるために人を不幸にしても良いという発想は
愛(真心)からくるものではないと思います。
昼ドラのような女の本能に近い恋心に思えます。
学園一の美少女で女王様だったのですから
美しい早乙女に対して抱く感情は狂おしいほどでしょう。
なんとなくかわいそうな人です。
愛は争って奪い合うものではないと思います。
愛は真ん中に心(真心)を書きます。
恋は下に心(下心)を書きます。
真心は戦いを生みません。
真心とは即ち陰徳です。
(陰徳の詳細は「美奈と圭子」の記事にて)
その意味で上記の二人の感情は恋であって愛とは言えないと思います。
愛と誠にはこのタイプの人がほとんどです。
では、ヒロインの早乙女愛の場合はどうなのでしょうか。。。
2へ続く